全都一般とは

全都一般が結成される以前、地域組織として西部印刷労組交流会議や牛込地域印刷出版労組連絡会、東京段階には東京中堅印刷労組連絡会など、いくつかの共闘組織がありました。西部印刷は牛込連絡会に発展し、「昼休みに作業服で会議が出来る」地の利を生かして、全印総連加盟組合の光陽印刷労組や新日本印刷分会と中立組合の特許印刷労組(後のジービーワン労組)、当時中立組合だった三晃印刷労組、当時の全化同盟加盟の理想社支部が中心になって活動し、三晃印刷労組の組合事務所で昼休みに定期的な会議を行っていました。また、合同の旗開きは毎回200名を超す盛会なものでした。

東京中堅は?、奥村印刷従組、特許印刷労組、特許紙器労組、三晃印刷労組、精興社労連、三秀舎労組などの中立組合と全印総連東京地連が中心になって、情報交流を定期的に行っていました。神田の喫茶店が会議の場所、会議終了後は、コップ酒が一杯100円の神田の飲み屋でさらに交流、と言った活動を続けていました。

この東京中堅が発展的に解消し1986年10月31日に結成されたのが、全都一般印刷労組連絡会でした。全都一般が結成された後も、しばらく牛込連絡会は活動を続けていましたが、全都一般に統合されるような形で牛込連絡会の活動は停止しました。

全都一般の結成の準備は、1985年から東京中堅に参加している組合を中心に行われ、1986年からは、「世話人会」を作り、定例の世話人会と事務局会議を交互に行い、2月には86春闘討論集会を、4月には春闘交流集会を行い、全都一般の結成を準備し、10月16日に結成準備会を持ち、10月31日、高田馬場の氷川神社集会室で結成総会を行いました。

2006年10月31日で結成20周年を迎える全都一般は、紆余曲折はあったものの組織を維持発展させ、様々な争議支援、幹事会や中間総括会議の定例化、単組代表者による連続学習会、全印総連?・出版労連との春と秋の合同決起集会、春闘前段での全印総連東京地連との共催で関東ブロック情報交流会議を毎年行うなど共同行動?・共同闘争を前進させています。

争議支援については、東洋印刷分会の結成当初からの支援や大日本印刷の解雇争議、凸版印刷の差別争議を支援し、三晃印刷の第1次都労委闘争、永尾製版?・三晃興産の解雇争議、JMIUのHKK争議、写真印刷、暁美術、新光美術の倒産争議、ほるぷ争議、明治書院や角川財団などの解雇争議、あゆみ出版争議、スギタ・谷口さん解雇争議、三晃印刷の第2次都労委闘争、など、多くの争議を支援し、微力ながらも共に闘ってきました。

結成から今日までの20年間の主な活動は、活動日誌にある通りですが、今日では定例化されている幹事会や中間総括会議は、結成後数年は不定期に行われ、年代によっては、幹事会が余り行われない時期もありました。関東ブロック会議を始め、定期的に共同行動が前進するのは、幹事会を毎月1回定例化してからです。定例化して意思統一をする、という組合活動の大切さを象徴しています。

結成から今日までの20年間は、まさに激動の時代でしたし、私たちの予測をはるかに上回る速度と規模で時代が動きました。結成の86年は、国鉄の分割民営化法が成立し、翌年の87年にはJRが発足、今日まで続く民営化攻撃の始まりの年でした。89年、天皇の死去と消費税導入、90年、東西ドイツの統一、91年、湾岸戦争とソ連邦崩壊、92年にはPKO法が成立、今日のイラク戦争への自衛隊の派兵と憲法改悪策動の動きを許す結果になってしまいました。93年には細川内閣が誕生し、いわゆる55年体制が崩れました。95年には、阪神淡路大地震とオウム・サリン事件が起こり、金融機関の破綻が相次ぎました。96年には米が自由化され、97年には消費税が引き上げられ、21世紀最初の年、2001年にはアメリカで同時多発テロが起き、2003年にアメリカなどによるイラク侵略戦争が始まりました。

この間、印刷技術はアナログからデジタルに大きく変化し、印刷業界は、規制緩和と市場原理主義による大競争時代に突入し、印刷総需要の低迷と単価問題が相まって、印刷業界の受難の時代に突入しています。

この20年は、洋々としていられないような激変の経緯でしたが、全都一般は時代に流されてきたのか、それともその存在を主張して時代に棹差してきたのか、皆さんの評価を甘んじて受けたいと思います。

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